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3つの夢と1つの真実の物語  白昼夢の青写真 微ネタバレ感想 (追記あり)

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白昼夢の青写真

まえがき

お久しぶりです。考蛙です。
発売からかなり立っちゃってますが、自分なりに咀嚼し理解する事が出来たので感想文にしました。
予め書きますが、押しブランドであるラプラシアンなので無意識に贔屓目に書いているハズです。
ただし、なるべく中立で書くように心がけているので、そこの所はご了承ください。

随所に書いてる最中のメモ書きが残ってますが、Tips的にあえて残してあります。

 

今作もとにかく音周りがとても良かった。本体より高いサントラを衝動買いしてしまうくらいには良く、曲もシナリオや絵に負けないクオリティで、ないがしろにされていないのはよく
ラプラシアン自体のファンディスク風な作品だけあって(私が勝手に呼んでるだけですが)
曲も過去作からのリアレンジや、リメイクが多く存在していた点、絵も過去作から流用しているのは逆にしっくり来たのでアリですね。
今作はCASEごとにOPEDがあり、フルのボーカル曲が全部で8!(ディザーもいれれば9!)も存在していて、スゲーと思いつつ、これでも結構な数の曲をボツにしているとサントラに書いてあってラプラシアンまじ恐ろしいと感じた所存…。
しかも、どの曲も過去作やってると「は????ええ???マジで???そこでこの曲???!!!」ってなっちゃうのでエモいのも間違いなし。

 

概要

白昼夢の青写真はかなり独特の作り方をしていて、群集劇でもなく、オムニバスでもない。CASE1、2、3と3種類の夢の物語を展開しながら、CASE0という真実でまとめています。
「複数の風呂敷を開いた上でCASE0という結び目で複数の風呂敷を閉じる」という今までにありそうでなかった発想は素晴らしく斬新で、前衛的なものですが、かなりハマっていたような印象を受けます。

あくまで体感ですが、各CASEにモチーフとなる作風が定められているように感じられ、同一作品でありながら、CASE毎に毛色が全く違うと感じたので、それらをまとめあげることができたCASE0の存在が大きいのかもしれません。

蛇足的なものになってしまいますが、CASEのプレイ順序も、特に思い入れが無ければCASE0的にCASE3→CASE2→CASE1か、過去作っぽい雰囲気のCASE2→底抜けにお気楽な話のCASE3でエネルギー補充→貯めたエネルギーで重く苦しいCASE1のどちらかが楽しいように感じます。
もちろん、好きな順序でプレイしても話には全く支障がないので大丈夫です。

以下各ケースの感想

 

CASE1

まるで純文学をエロゲで再現しているかのような、特異なものでした。
難しいかと聞かれればそうでもなく、鬱なのかと言われればそうでもなく
純文学に存在する"美しさを求めるあまり倫理観を無くした物語"みたいな感覚が続きます。
実際、志賀直哉芥川龍之介などの純文学寄りの人たちばかりで、(この雰囲気を)意図的に作ってきているのを感じました。
それに重ねるように、違和感を抱かざるをえないほどのゴリゴリなご都合主義的なストーリー。ライターの実力が試されそうなシーンの連続。(実際このCASEを通して成長したと緒乃ワサビ氏は言っていました。)
伏線回収や、伏線ですらないと思われるものも伏線として回収する様子は、Ever17マヴラブを思い出させました。
総じて重く歪なものでしたが、色々な意味でエロゲでしか出来ない良いエピソードと評価したいです。

 

OPの「クラムボン」もいい曲。歌詞が独自の解釈というか、クラムボンは正体不明の"モノ"を指す言葉ですが、その中でもいくつかある案を統合して、折衷的な歌詞になっているのは印象的で
EDの「ブルカニロ」はキミユメのOPのリアレンジな上にとんでもない歌詞をブチかましてくるので
リアルで「うああああああまじかあああああああああやりやがったな緒乃ワサビ!!!!!!」って叫んじゃう位に過去作プレイ者には刺さります。未プレイでも刺さります。多分。
(なんだよフル版の歌詞ズルすぎだろ、なんでこんなクリティカルな歌詞にしたんだよ許さんぞ。)
"ブルカニロ"について詳しくは語らないのですが名前の由来的に”最終的に消えてしまった存在”と捉える事も……?できるようになっているのはとにかくエモい。


メモ あの頃ペニー・レインと渡辺淳一失楽園

 

CASE2

主人公はシェイクスピアをモデルにしているため、CASE自体が悲劇調に仕上がっており、イギリス過渡期であり抑圧されていた憂鬱な雰囲気が漂う中で、ある種幕間のようにギャグが挿入されることで、全体の雰囲気を和らげています。

まあ、ここは流石のラプラシアン。悲劇を悲劇にするつもりはありません。
なんと、登場人物のキャラが濃いです。むちゃくちゃ濃い。

スペンサーを始めとして、キキ、ウィル父(主人公の父)と今までのラプラシアンワールドのような登場人物がたくさん登場して、キキはどうみてもついてないし、スペンサーはラプラシアン史上最も意味のわからないキャラだし(と思ったけど処女膜教授が居た)


ギャグとシリアスの落差や話の作り方については偶然だと思うのですが
自分たちの生活がゆっくりと終末に向かっていることを実感しながら何も出来ない」みたいなのってちょうど過去作のニュートンと林檎の樹と近いものがあって
後々実は狙ってたのかな?って思ってたりしたんですがどうなんでしょ?


また、何気に(これはCASE3、CASE0とも共通しますが)時代考証がものすごくちゃんとしてるのが印象的で、私がラプラシアンの上手だなと感じる部分に、SF界では有名な”大きな嘘は一つまでにする”って鉄板をきっちり守ってる点なんですよね。
これが曖昧になるとSFとファンタジーの区別がつかなくなって収集がつかなくなるんのですが、ラプラシアンはそこの線引がうまい。

 

色々能書きたれちゃいましたが、正直なところ、得意ジャンルのゴリ押しでここまで素晴らしい話を作れるのならば、言うことなしの大満足。
プレイ後に思い出したのですが、ライターの緒乃ワサビ氏がたまに言っているイメージのある「物事には代償がつきまとい、必ず支払う。ただしハッピーエンドがいいよね」みたいなのを地で行く章だからこそ"ラプラシアンらしさ"が出てたのかなぁ。と思ったりして。
もちろん伏線もバリバリ貼ってあってすごい。人によっては切なすぎて泣いてしまうかもしれない。そんないいお話でした。

メモ
「オルヴィアがスペンサーと劇場でセックスしている現場に遭遇するとウィルの心が壊れてしまうと感じた」からと間接的な描写になったらしい
元々ウィルとスペンサーのホモセがあったらしいんですが、尺の関係で消えたとか

恋は雨上がりにように、失楽園

 

CASE3

名前もぶっ飛んでる桃ノ内すももがもーとにかくかわいい!!!!"もものうちすもも"って"も"多すぎだろwww
って感じのぶっ飛んでるお話です。実際ぶっっっとびすぎていつものラプラシアン!!!!って感じなんですが
登場人物全部コミカルなキャラでノリと勢いに全振りしたかのようなストーリーでそれ自体がもう伏線だったりするのはヤバいッスね。と語彙力を失いますw
こればっかりは体験してもらいたいし、何なら体験版でCASE3だけでもやってほしい。

前作未来ラジオの舞台を使っているので、なんとなく予想はして居たのですが、びっくりなくらい青春してるなぁってストーリーがいいですね。好き。
ただ、若干歯切れの悪いというか、CASE2とCASE1が強烈だった分、休憩というイメージがついてしまって、ケースの順番によっては微妙な印象を与えてしまうかもしれない。それでも、個人的に最も好きなCASEです。
地味にスペンサーが居たりするので、CASE2はプレイしていないとわからないかも?

 

ちなみに、本作発売前からOP曲の「恋するキリギリス」がファンの中でも一番人気が高かったみたいで、歌詞がすごく良いのですが、元々サバサバ女子みたいな歌詞なのを、あえてこういう風に書き換えたみたいで、歌詞の才能もある緒乃ワサビ氏はエグい(流石に褒めすぎ?)

www.youtube.com

メモ
梓姫はVtuberが消えたらどうなるかを想像して作られている。
参考作品は恋に落ちたシェイクスピア

 

CASE0

何を言ってもネタバレになってしまう。怒涛の伏線回収。Ever17とかと並ぶレベル。古今東西の作品でも、ここまで伏線を回収するものは数えられるくらい。
超絶怒涛の展開すぎてぶっ飛びすぎる。出雲かわいい。ちょっとだけ冗長的。削る部分がないって言ったら実際そうなんだけど、ノーランの映画みたいに長いと感じてしまった。
なんて言うんだろうか、あの、綺麗にはまとまっているけど長すぎると感じる感覚。

強いて言えば、CASE1.2.3がテンポよくサラサラ進みすぎたから相対的にそう感じるのかもしれない。
登場人物みんな魅力的で、CVってあるじゃないですか、キャラクターヴォイス
あそこまでそういう事に使う??え??マジで??ヤバすぎない??
って思える使い方するの、これ"ADVでしか作れない"作品に昇華してない?って素直に思って、もう筆舌に尽くしがたい。
公式がビターエンドと称するだけあって、エンドは賛否両論ありそうですが、ED後にラプラシアンおなじみの「つよくてry」も存在しているので安心?


まとめ

ケース1.2.3の終わりからケース0の始まりまでは点数をつけるとしたら150点くらいだったのに、CASE0で80点に落ちました。
ラプラシアンにありがちな「体験版がピークだった」ってのかと思ったけれど、そうでもなさそう。
いやでも……未来ラジオよりも、ニューリンよりも、キミユメよりも格段に進化しているハズなのに
圧倒的に素晴らしいはずなのに。でもなぜか人には進められない。そう感じてしまう。そんな作品。


今作はとにかく衒学的で、消化不良が著しいというか、余韻が残るといえばいいのか、なんとも筆舌に尽くしがたい作品でした。
ライター兼代表の緒乃ワサビ氏が前に進むために必要な作品で、ひいてはラプラシアンが過去と決別するために作ったからこそ、このような形になった。としか考えられないようなもので"今"ラプラシアンが間違いなく全力で作ったからこそ出来た作品です。


誤解をしないで頂きたいのですが、この作品は間違いなく名作です
終わり方は公式の言うようにビターエンドなので賛否はあるかもしれません。
過去の作品をやっていればやっているほどエモいと思える出来なので、ある意味過去3作品のファンディスクと呼んでもいいのかもなんて思ってたり。

 

 

 


(ここからネタバレするので未プレイの方は読まないでください)

 

 

 

 

 

 

 

追記


公式のコラムやci-enの製作日記を読んで重大な勘違いに気づきました。この作品は世凪と海とセカイ系です。
だから別にバッドエンドでもいいんです。
三種類の夢がきれいにハッピーエンドを迎えられたのは、それらが"物語"であったからで、"現実"であるはずのCASE 0救いは存在しない。
それは世凪と海斗の物語であるはずの"現実"が綺麗に終わることはないという遠回しなメッセージでした。
そう考えると、"人間を定義する記憶という"哲学的な内容なのも、緒乃ワサビ氏が"やりたいことをやりきるために書いた"というのも納得できます。

個人的に今作の本質に近い意図は氏が公式のコラムで述べていた

”結局、そのとき自分の中にある主題と向き合って、
こたえ(あるいはこたえらしきもの)に辿り着くまえに物語を閉じてしまうと
書き手としていつまでも同じところをぐるぐると回ることになると。
例えば今から10年後、いいおっさんになったあとも、いつまでも同じ位置で、同じような深度で創作を続けている自分の姿って割と悪夢だったんですよ。”

って言ってるんですよ。これって今作がある意味過去のラプラシアンとの決別を意味してるんじゃないかって。思ってたりします。

 

ちょっとメタい考察になってしまうのですが、緒乃ワサビ氏の過去のツイートだったり、今作製作中のクラウド監視を見ていて感じるのは、多分氏は自分の、自分たちのアイデンティティを確立、もしくは"ラプラシアン"を確立するために通るための道だった。こそ作られた作品です。やっぱファンディスクじゃん?

 

メモ
(ラプラシアンの由来はラプラシアンのという数学用語で、それに対して誰もが共通認識を持っているが、それを説明できる人間は少ない。という共通認識になりたいという思いからつけたらしい。)